8/23 Day.8
朝は6時30分に起きた。今日は金曜日、アフガニスタンは休日。外には車も少なく、いつもより過ごしやすい。それに朝ということもあり、涼しいくらいだ。毎日こんな感じだといいのだが。しかし、時間がたつにつれ、いつもASCHIANAにいる子どもたちが、いつもより人通りの少ない道や車の少ない道路で、水や新聞を売っているのを見かける。そうなのだ。彼らの生活は、こうして成り立っているのだ。
デイビットと今日の予定を打ち合わせながら朝食。もちろん卵焼き。8時に事務所に行ったが、青葉さんはまだ寝てる。1時間待って、起こしにいった。とりあえず昨日の状況を伝え、このプロジェクトを私とデイビットで進めることにした。いろいろがんばってつくりましょう。誰もいないASCHIANAに行き、樹木を守るための液体を樹にぬる作業をした。これが結構しんどい。今日はすごく天気が良くて、日中になるとどんどん暑くなってきた。ひでぇ。あちい。コンチネンタルホテルで、ネット。画像を一部アップロードして、日記のページに掲載。みんな見てね。ホテルを後にして、マーケットへ。飲食店街。たぶんイメージするものとは違うだろうな。くさい。ここで飯を食べるのか?ハエがたかってる。それくらいならまだいいけど、これはいつからここにおいてあるの?まぁ、デイビットはダリ語がしゃべれるので、いろいろとうまいことしてくれた。大目に見てもうまいとは言えない昼食を食べ事務所に戻る。すると、青葉さんが昼食を食べに行こうだとさ。食っちゃったよ。わはは。まぁ、待っててくれたみたいなので、付き合うことにした。あたりまえ?中華もどきレストランへ。私はブレッドプディングを。まぁでデザート気分。はずれはないだろうと思って。うん、中吉くらいかな。マジで何がでてくるかどうかおみくじのような気分だ。自分で作った方がうまい。事務所に戻って写真の整理。デイビットの写真ももらった。一応聞いておいた。「出版したいという話があったら、出版する?」「いいねぇ。」とのこと。何枚かいい写真があった。持ち帰ろう。特に、空爆の激しかった地域の写真にいいものがある。
休日は何をしようにも難しい。だいいち、「休日」とはなんだ?「休む日」と書くんだよ。いつもそれを忘れてしまう。休も。ホテルの戻る。明日の予定を確認して、いつものところへ。ビリヤードやってる。ちょいと遊んだ。なぜか腰が痛い。やべ。ふらふらする。座って日記を書くことにした。。
日記を書いていると、だんだんみんなが帰ってきて、いつのまにか一緒にご飯を食べながら、コンサートの準備について話し合っている。あれ?おれ以外はみんな関係ない人だべ。私日本人。デンマーク人。シンガポール人。オーストラリア人。彼らはみないつもここで情報交換をしている仲間だ。いつもはほかに数人。(スペイン人とオーストラリア人の二人が今日は遠くまで取材いに行っている。中華もどきレストランで会った時にそういっていた。)みんなでブーブー言い合いながら招待状を作っている。おそらく、みんなが抱えている仕事からすると、遊び感覚でできるものなのだろう。気楽に意見を言い合い、笑いあっている。アフガン人のウェイターも加わった。このホテルでは、ウェイターは普通の人の格好をしているので、ウェイターかどうかを判別するには、顔を覚えるしかない。彼が仕事に戻るとき、「兄弟姉妹を連れてコンサートにおいでよ」と、誰ともなく声をかけた。彼は、「姉妹はいない」と答えた。また、「なら兄弟を連れておいで。」いや、おれは一人っ子なんだ。一同笑いながら「珍しい!普通10人くらいは家族がいるでしょ?」「今は母と二人暮らし。他の家族はタリバンが来たときにロケット弾でみんな死んでしまったよ。」と。「母と一緒に見に行くよ。楽しみだ。」と最後に付け加えた。この国でコンサートをやるということ、娯楽をやるということの意味、とてつもなく大きなことなのだと、思い出した。みんなもいつもならそれを実感していたが、外国人だけのホテルの中で、ふと忘れてしまっていた。そう、ここはカブール。アフガニスタン。街中に壊れた建物、銃弾の後、マシンガンを持った軍人が常にいる、何十年も戦火の耐えない国なのだ。平和とは何だ。報復に反対していた私は、何をどう考えていいかわからない。ここでは、家族を失ったり、手足を失ったり、失うものがあることが当たり前になりすぎている。私のあだ名はハイテクマン。小さなパソコンに、小さなデジタルカメラ、ビデオカメラ、日本の携帯電話、ギター。何でも持っている。しかし、何が大切なのかがわからなくなっている。
ウェイターの彼は、何から何までを失ったのかもしれない。もちろん、たくさんの人がそうだろう。彼らは知っているのかもしれない、本当は、何が一番大切なのかを。今日一日を無事に生きることができたことに感謝しようと、時に誰かが言う。言葉だけの言葉だが、今は違って聞こえる。私も日本でよく聞く言葉、「人はいつ死ぬかわかんないんだよ。だから毎日を楽しまなくちゃ。だからいつ死んでも後悔しない。」この言葉には、生きることの難しさがないのだ。ここで言う、「人はいつ死ぬかわからない。」は、言葉だけ見れば全く同じ言葉。この言葉を聞いたとき、以前の私でも、「うん、そう思う。」と言えただろう。今は、全く別の意味で、感じることができる。ただ、言葉にすることがとても怖い。この言葉は、何かを想像して使う言葉ではなく、現実を表してしまっている言葉だからだ。インシャアラー。彼らがこの言葉をよく使うのは、何かで自分を納得させるためなのかもしれない。「どうにもならないことがある。」これもよく使う言葉。ここでもよく使う言葉。しかし、重みが違う。これだ。ここが違うのだ。「戦争はいやだ。」「報復反対」「平和」「軍隊」「死」すべての言葉が、同じ言葉なのに、重みが違う。やばい。頭がおかしくなりそうだ。今までの価値観が、消える。音を立てて崩れていくなんてことはない。あったのかさえもわからなくなりそうだ。うぅ。頭が痛い。この「痛み」すら、私が使う言葉とは違うのだ。もうしゃべりたくない。考えたくない。逃げ出したい。もういやだ、こんな国は。こんなことすら言えるのが、私だ。
水を買ってきた。このホテルでは、あらゆるものが他と比べて割高だ。だが、そんなことはお構いなく、大きなペットボトルの水を買う。3万アフガニー。約100円。よく冷えていて、うまい。うまい。売店の気のいいおじさんが、聞いてきた、「ハーイよこ(何度言っても直らない。ゆき。)何か食べるのかい?」「いや、飲み物だけ。」「おーけい。何を飲む。」「うーん。・・・・・・・・。。。」「はっはっはっ。疲れたのかい?」「いや、何がほしいのかよくわからない。」「何でもあるよ、コーラにペプシ、ファンタ、マリンダ・・・。だけどゆき(あ、直った。)にはこれがいいよ。」と言って、別の冷蔵庫から、でっかいペットの水を出してくれた。いつの間にかこのホテルがうれしく感じるよ。このおじさんは、朝食の時も夕食の時も、必ずおまけを持ってきてくれる。「お金はいらないよ、よこはいい友達だ。」そう言ってくれる。いつも安いものばかり頼んでいるからだろうか。。。感謝。
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