9/2 Day.18
起きると、北京に着いていた。飛行機から降りることはできないので、ぼーっとしていた。特にそれだけ。小一時間ほどして出発。あっという間に眠ってしまい、あっという間に成田に着いていた。昼食を食べ、池袋により、家に帰る。きれいに舗装された道路。にぎわう繁華街。学校帰りに友達と遊んでいる高校生。大音量でズンズンと走る車。電車。そびえ立つビル。アフガンではなかったり、違って見えたもの達。車は整列して走る。信号で止まる。水を売る少年はいない。壊れた建物もない。砂埃もない。地雷の標識もない。町を軍の車が走ることもない。夜になっても明るい。何のためにここにいるのか、一気にわからなくなった。
日記の更新が途中で止まっていたため、家族や親戚、友人に心配をかけてしまった。私の感覚がどうかしてしまったのだろう。よくよく考えたら、確かに心配だ。だが、私の感覚は、おかしくなっている。死んでしまったらそれで終わりなだけ。一時悲しいだろうな。でもそれは運命だったのだ。
映画「地雷を踏んだらさようなら」の、その一言。なんだか違って聞こえる。軽いんだよ。
大切な人がいなくなったり、連絡が取れなくなることに対する不安感は誰でも同じだろう。ただ、おかしくなってしまうのは、自分の命の感覚。今日一日を生きられたことに感謝し、明日も無事に生きられるように祈る。もしも死んでしまったら、それを受け入れる。ただそれだけのこと。ん?これは、おかしくなったのか?それとも、こっちの方が自然なのか?人は誰でもいつか死ぬ。そのことを自然と感じている。その方が、お互いに悲しみが小さくて済む。これは、自分が生きていくために必要な感覚なのかもしれない。もしくは、大切なものを失うことになれてしまった、悲しい感覚なのかもしれない。