7/13 帰路 ※記入日2004年11月
ケシャンからカブールへ。本来なら2日の道のりだが、急いで帰らなくてはならない。早朝6時前に出発した。
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| ケシャンから途中の町タラカンまでの道のり。のどかな風景が続くき、道ばたに座っている子どもたちをよく見かけた。道路は一方通行。行くときに通った道は、今日は羊たちが通っているので彼らのペースでしか進めない。帰りは行きの道の遙か下にある谷底を走る。雨期は川になるらしく通れないときがあるのだという。ちょろちょろと小川のような水の流れがあり、それをなんども乗り越えて走る。 | |
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タラカンの町で、世話になったSCAの事務所に立ち寄る。ここには、地雷で足を失った人たちのための義足工場がある。義足と一言で言っても、その種類は数知れない。また、ひとつとして同じ義足もないのだという。人それぞれの形にあった義足であり、また、ひとそれぞれ、失った部分が違うのだ。坦々と話す彼らの口調には、怒りなどとうに忘れてしまったかのような響きがある。 |
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義足での歩行も困難な人のための乗り物も作っている。
リハビリテーションセンターでは、ほんの数週間前に足を失った人が、今日から初めてのリハビリを開始していた。地雷の被害は今日も続く。 |
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急いで帰らなくてはならないのに、タラカンの町に立ち寄ったのには訳がある。タラカンからクンドゥズへの道で、アフガニスタンの銀行の役員が襲撃を受け殺されたというのだ。また、同じ区間で、国連関係者の乗った車から連絡が途絶えているというのだ。この国で、外国人が行動するには情報が命に直結している。今回の渡航時には、こうした情報が衛生電話や無線を通じて常に手に入れられる状態にしておいた。そのため、今回の危険情報をすぐに察知することができた。つい最近、外国人NGOスタッフがクンドゥズで殺害される事件があったばかりのため、様子を見ることにした。やはり情報は錯綜し、事故だという情報もある。殺害された銀行役員の件、連絡を絶っている車の件、それぞれの情報を確認し、私たちの急いでいる状況から、とりあえず、出発することに。その際、この区間に関して、なんらかのトラブルに巻き込まれた場合、SCAにその責任を求めることはしないと約束した。これは、約束させられるのではなく、自分で何か行動する際に、自分に協力してくれている人たちに迷惑をかけないようにするためだ。おたがい、無事を祈る。この国では最高の礼儀だと思う。 途中の道で、ぺちゃんこになった車を発見した。どうやら事故だったようだ。 |
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ロシアのパイプ これは、旧ソ連が侵攻してきた際、旧ソ連本国から、カブールまでの道のりに建設された、ガスや石油を運ぶパイプラインに使われていたものだ。当時から、このパイプに穴をあけては石油やガスを盗んでいたという。今ではそのパイプをつかって、家の柱にしたり、街灯を作ったり手すりとして使っている。伝統工芸の絨毯などを折るための道具としても使われている。織物などの先に、毛糸を難渋にも引っかける棒があるが、それに使われているのだ。なんだか笑ってしまう。現地の人々も、ロシアンパイプは最高だ!と笑っていた。 |
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カブールまでの山岳道を進む。畑のあぜ道を歩いている少年。道ばたで果物を売るお店にたむろしている子どもたち。みんな元気そうだ。 |
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そんな子どもたちが遊んでいる場所には、赤と白に塗られた石が並んでいる。意志に塗ってある白いペンキの方向は、地雷の撤去作業が終わった場所を示している。赤く塗ってある方向は、地雷が存在することを示している。この印がある場所は、まだいいのだ。「地雷がある」と示されているのだから。ほとんどの地域は、この印さえないのだ。 |